2011年11月28日 23時22分
「日光江戸村」では忍者ショーや花魁ショーを見て、人力車に乗ったり、
お姫様に変身して写真を撮ってもらったりして、古い日本の文化を体験。
特にお姫様に変身できたことがとても楽しかったと満面の笑顔でした。
世界の有名な建物を忠実に縮小して展示している「東武ワールドスクエア」では
あっという間に世界一周。全米桜祭りのお膝元、ワシントン、ホワイトハウスの
ミニチュアを背景ではなく見下ろしながらという奇妙な感覚で記念写真を撮りました。
「来年は是非ワシントン桜祭りにいらして、本物の大きなホワイトハウスをご覧下さい。」と
100周年を迎える全米桜祭りに招待を受けました。
2011年11月27日 23時25分
11月5日には鬼怒川、日光へ。東武スペーシアの車窓から見える紅葉した田園風景をいたく気に入られた様子。
特に葉をすっかり落とした柿の木が珍しかったようで、後ほど柿をむいて差し上げたら「美味しい!」と
喜ばれました。期せずして寿司、てんぷら以外にも新たな日本の味を楽しんでもらえて嬉しかったです。
(柿の実は中国や韓国でもなるようですが、なんといっても日本の柿が一番!ですよね)
2011年11月27日 01時28分
午前、全米さくらの女王は衆議院議長公邸で
さくら功労者の表彰式に日本さくらの女王と共に出席。
今年は12名の個人と50団体に桜の保護に著しい貢献があったとして
横路会長から表彰状と記念品が授与され、功労者のみなさんは
広くて美しい公邸で女王を囲んで記念撮影をしました。
さくらを通した交流が草の根の、本当の意味でさくらに携わっている人々に
もたらされた意義深い時間でした。
2011年11月20日 17時11分
11月4日夜、早速女王委員会主催の歓迎会を衆議院議長公邸で開催し、約150名の会員が集いました。
全米さくらの女王は全米州協議会(National Conference of State Societies)が選出しています。
各州代表のプリンセスがワシントン桜祭りに集い、おおよそ一週間のプリンセスプログラムを一緒に過ごし、
最終日のグランドボウル(大舞踏会)で女王(Queen)が決定されるそうです。
今年はNCSSが東日本大震災へのお見舞金を女王に託して下さったことや、
50州選出のプリンセスたちが応援メッセージを書き込んだメッセージツリーを
作成して下さったことに対して、横路会長の謝意を込めた歓迎の挨拶がありました。
乾杯の後はアリソンさんやエイドリアンさんはもちろん、日本の女王やプリンセスを囲んで
あちこちでフラッシュがたかれ、交歓の和が広がっていました。
2011年11月19日 16時39分
ワシントンで選出された全米さくらの女王は例年春に来日されますが、
今年は東日本大震災の影響で秋の来日になりました。
11月3日、女王のアリソン・スピーカーさんとシャペロン(後見人)のエイドリアン・マグヌーソンさんは
段ボールに10箱のお土産を手に、時差を感じさせない程元気に成田空港に降り立たたれました。
初めての日本で、お二人はこれから一週間公式行事に臨まれます。
2011年11月16日 12時08分
ワインも入り興が乗って、桜の女王がフラダンスの講習会を実施。
「魚を捕るときのダンス」の振りを教わり会場一体となって踊りました。
ハワイからのお客様は松本楼のお料理の見栄えの美しさに目を喜ばせ、
美味しさに感激なさっていました。
最後には日本さくらの会理事の「アロハオエ」の歌も飛び出し、楽しい一夜を閉じました。
2011年11月15日 21時34分
歓迎会はホノルル日系人青年商工会議所理事長の流暢な日本語の挨拶で幕を開け、
おそろいの民族衣装に身を包んだハワイ桜の女王がはにかみながら自己紹介。
大学や大学院で学ぶ才媛揃い。でも4世代、5世代目になり、
ほとんど日本語を話せないのが悲しいと話していました。
2011年11月10日 14時40分
ハンブルク桜の王女を御紹介しましたが、今回はハワイ桜の女王を御紹介します。
ハワイ桜の女王は日本人の文化を忘れないためにというコンセプトのもとに
日系の女性を対象に選出されて来たそうです。
10月18日ハワイ青年会議所のメンバー、女王の両親を含む
ハワイ桜の女王一行10名の歓迎会が日比谷松本楼で行われました。
ハワイ桜の女王は一カ月近く続く桜祭りの間に、例えば華道、茶道などの
日本文化を始め、日本について学びながら選出に向けてイベントが続くそうです。
日本から遠く離れているだけに日本文化に深い思いがあるのかもしれません。
2011年11月8日 12時07分
公式行事で日本さくらの女王が着用のあでやかな振袖姿は
どこに行っても大変喜ばれ、街行く人々もカメラを向けていました。
日本大使がおっしゃったように、今回の日本さくらの女王の訪問で
心を動かされた人が何人もいたことでしょう。
そしてやがてそのなかの誰か、誰でもが日本という国を好きになってくれれば、
日本に遊びに行ってみようと思ってくれればと切に願っています。
2011年11月6日 22時23分
このたびは日本さくらの会の蓮実常務理事が随行したこともあり、
ベルリンの在独日本大使、並びにドイツ連邦議会副議長からも招聘があり、
一日首都ベルリンにも遠征しました。
アウトバーンで約3時間。300キロの道のりは途中ほとんどが平原で、
脱原発を宣言しただけのことはあって、巨大な風力発電機があちこちに林立していました。
連邦議会副議長表敬訪問後,日本大使表敬訪問。
日本大使は「日本さくらの女王がドイツを訪れる意義は小さくない。
誠意をもってドイツの重鎮と話すことでお互いの理解が深まっていくのだから、
これからも日本をアピールして親善大使の役割を果たして欲しい」と励ましてくださいました。
ベルリン日本大使館は天井の高い非常に立派な建物で、ドイツでの日本の重要性が感じられました。
2011年11月2日 10時06分
製薬研究所を見学する機会もありました。日本の製薬会社と新薬を共同研究している会社で、
本当に地球はボーダレスだと感じ、ドイツ人でも日本人でも国境を越えて
世界の英知で一刻も早くアルツハイマーや糖尿病撲滅の薬が発見されるように祈りました。
総領事主催の晩餐会は美しいアルスター湖のほとりにある領事館で催され、
ハンブルク市経済振興公社、ハンブルク市貿易局の人々、独日協会の理事とともに
優雅にお食事を頂きました。総領事はドイツ語のスピーチで日本人の心を語るものとして
桜にまつわる西行の和歌を紹介して下さいましたが、アルスター湖畔に咲く桜を見ている
ハンブルクの人にもその思いは伝わったでしょうか。
2011年11月1日 18時40分
また、いずこでも震災に対するお見舞いの言葉を頂きました。
4000人が手に手にろうそくを持ちアルスター湖を囲むという慰霊をして下さったり、
市庁舎ホールにはハンブルクの子供達による被災地を励ますための絵やポスターが飾られて、
中には日本語で「ななころびやおき」と書かれているものもあり、心が熱くなりました。