2013年4月22日 18時40分
桜前線は北上を続けていますが、昨日の東北では桜に雪が積もるほどの冷え込みだったそうです。
けなげに咲く桜もまた美しいものです。そして美しい桜を見るためにあちこちで植樹が行われています。
先月11日、京都大学宇治キャンパスで記念植樹式が行われました。
それに先立ち前日の10日、桜が開くにはまだ早かったのですが桜の木を求めて
東本願寺飛び地の「渉成園」へ。渉成園は徳川3代将軍の時代から続く
書院や茶室を備えた名園で小雨の中情緒たっぷりの京都を体感しました。
続いて梅見でにぎわう北野天満宮から平野神社へ。平野神社は紋が桜ということからも
わかるとおり50種400本の桜の園です。冬咲きの10月桜に出会うことが出来ました。
最後に長年(財)日本さくらの会の理事で技術顧問をして下さっていた桜守りの
16代佐野藤右衛門さんのお宅へ。藤右衛門さんが日本古来の個性豊かな
趣のある桜を大事に育てられているお庭を案内してくださいました。
これらには先々代、先代が全国を回り集めてきたものを大切に受け継ぐと同時に
16代自ら集めたものも含まれています。お庭はいつも解放されており、
時には篝火をたいたりすることも。桜と話しながら自然の営みと古来の文化の
多くを学んだという藤右衛門さんは今も薪でお風呂やお米を炊く本物の日本人です。
2013年4月18日 18時58分
3月23日(土)横浜市栄区で「里帰りの桜植樹式と記念銘板除幕式」が開催され小林女王が招待されました。
日本からアメリカへ桜寄贈100周年を記念し、里帰りした桜が栄区の「本郷台駅」駅前広場に植栽されました。
式典の主催者は「本郷台小学校」の児童で、進行も全て児童代表が運営!
開幕の「琴演奏」には栄区長も加わり児童達と楽しく合奏。
また、ワシントンDCへ日本の桜が寄贈される事になった経緯が「児童劇」として上演され参加者も興味深々。
記念銘板の除幕式では小林女王が銘板を読み上げ、続いて「栄区音頭」を皆で踊り親交を深めました。
「里帰りの桜」を実質的に守り育てて行く児童達が主体となり、未来を感じさせるユニークで心温まる行事でした。
2013年4月16日 09時30分
1960年前後、日本の国土は開発の嵐により緑が破壊され、
国花さくらも衰退の憂き目にあっていました。これを心配した
当時の衆議院議長船田 中(ふなだ なか)氏が国会議員に声をかけ、
賛同した有志とともに設立されたのが(財)日本さくらの会です。
ちょうど東京オリンピックの開催された1964年のことでした。
日本さくらの会は4月1日、財団法人から公益財団法人に移行したので、
4月14日蓮実理事長が初代会長である船田中先生の墓前にこれを報告しました。
命日の4月12日にはさくらの会の行事が行われていたため、
2日後の14日の参拝となりました。
2013年4月8日 15時05分
3月30日土曜日 昨年に引き続き東日本大震災被災地復興祈念のさくらの植樹が、
福島県相馬市松川浦スポーツセンターに於いて行われました。
今年は「お~いお茶」でお馴染みの(株)伊藤園の自然や環境保存の社会貢献事業として実施されました。
当日は相馬市長および市職員、伊藤園執行役員および社員をはじめ被災された地元の皆様、
第24代日本さくらの女王、理事長、事務局長が参加して、さくらの若木を植樹しました。
大震災で被災された多くの方々が「さくらによって癒されますように、皆さんが元気を取り戻せますように」
という願いを込め100本のさくらを植樹しました。
冷たい海風が吹き、海に目を投じると未だにがれきになった船の残骸が目に入ります。
けれどもそれらを乗り越えた人々の穏やかな笑顔と笑い声に包まれた心温まる植樹式でした。
2013年4月7日 15時58分
公式行事終了後、待望の観光をしました。滞在ホテルの窓から、眼下に広がる日月潭を遊覧。
湖の北側が太陽(日)の形、南側が月の形をしていることからこう呼ばれる台湾で一番大きな湖です。
さくらプリンセスに相応しい桜模様のチャータークルーザーで、涼風に吹かれながら湖を周遊しました。
帰国当日午前も「中台禅寺」という有名な寺院を見学しました。汗ばむほどの陽気で、
青空にそびえ立つ寺院は日本のお寺とは異なるエキゾチックな佇まいでした。
また、台中大学の校内にある桜や野ぼたんを観賞し、2月でも日差しが強い亜熱帯の台湾を実感しました。
観光後の昼食は、食用花で飾られたオードブルや真っ白なゴーヤの揚げ物や、
紙のように薄く加工した野菜が入っている小鍋など地元の珍しいお料理を堪能しました。
盛り沢山の4日間、大活躍の川瀬プリンセスは笑顔と熱意で日台の親善に尽力しました。