
2011年12月23日 01時06分
新聞社やテレビ局も見守る中、宮城県総合運動公園にて「東日本大震災復興祈願記念植樹」を行い、
アメリカ生まれの「ファーストレディー」という品種の桜を植樹しました。
まだ細いこの桜の木が力強く成長して、それと共に被災地の復興が順調に進むように祈らずにはいられません。
アリソンさんも「いつか育った桜を見に帰って来たい。」と話していましたが、
その頃には被災地が復興していますように!
2011年12月20日 22時54分
続いて県庁表敬訪問。東北知事会議で知事が留守だったので副知事にお目にかかり、
全米州協議会(NCSS上・下院議員を支援し慈善事業や文化活動を行う会員2万人の団体で,
全米桜祭りでの全米さくらの女王選出のため、各州から選出されたプリンセスたちの
1ヶ月間に渡る行事を取り仕切っている。)の支援で集められた3000ドルの義援金と
被災した子供たちのためにと全米各州のさくらプリンセスたちの暖かい気持ちのこもった
5箱分の文房具やおもちゃなどがアリソンさんから副知事に手渡されました。
またメッセージツリーをご覧に入れたところ応援に負けないように復興に力を注ぎたいと
副知事もおっしゃっていました。
程なく宮城県を通して配られた全米からのお土産に対して子供たちから感謝の手紙が届き、
遠くの点と点が繋がったことを実感し、大きな喜びを感じました。
2011年12月13日 11時51分
11月7日、今回の全米さくらの女王来日のメインイベントともいえる被災地訪問で仙台へ行きました。
仮設住宅慰問の挨拶で、アリソンさんは「家も何もかもをなくしてしまうという経験をしたことが無いので、
皆さんのお気持ちは私には想像もつかないけれど、本当にお辛いでしょう…」と話したところで涙ぐみ、
心から相手をおもんばかるスピーチでした。被災者の痛みを忘れないために
一番大切な「共感する為の想像力」を彼女に教えてもらった気がしました。
「何人かの方が慰問にみえたけれど、こんなに親身になってくれた人は初めてです。」と
仮設住宅の皆さまが感激されていました。
2011年12月11日 22時40分
忙しい公式行事が続きましたが、ようやくフリーとなった日曜日。
まず銀座を訪れ、デパートを覗いたり、アンパンを買って歩行者天国でかじってみたり。
浅草ではちょうど秋田竿灯祭りが行われていて、子供歌舞伎や竿灯、ねぶたを鑑賞。
屋台の牛串をほおばりながらお祭りに酔いしれていました。
仲見世ではアリソンさんは招き猫を、エイドリアンさんは子供にせがまれたと、
浴衣と下駄をお土産に買われました。
「ようこそJAPAN」のCMはアメリカでも流れているのでしょうか。それで招き猫!?
夕食は土俵のある相撲茶屋へ。和食が大好きと寿司やちゃんこ鍋、焼き鳥を上手に召し上がっていました。
この日は人から見られる心配をしないで、普通の大学生に戻り、リフレッシュ。
日本の伝統文化を垣間見ることのできた自由時間を楽しんでいらっしゃいました。
でも、また明日からはハードスケジュールが待っています。
2011年12月5日 23時21分
日光東照宮では大勢の観光客のシャッターににっこり。
アリソンさんとエイドリアンさんはガイドの案内を聞きながら
世界遺産の建物を巡っては「ゴージャス!」とため息をついて見入っていました。
「将軍御座の間」にも立ち入らせてもらい、
江戸の風が身体を吹き抜けていったような感覚を覚えました。
3日間のライトアップの最終日に立ち会うことができ、
荘厳な五重ノ塔が光り輝きこの世のものとは思えない神々しさを醸し出していました。
日本さくらの会の強力サポーターが日光観光協会との連携プレーで
すばらしい接待をして下さり、アメリカからのお客様の心に残る一日になりました。